雷電為右衛門
今日は9月13日です。
いよいよ今日から大相撲が始まりますね。
コロナの影響で、部屋にも感染者が出て、出場しない部屋もあるとか、二人の横綱が休場するなど、少し寂しい場所になりそうですが、今回は、長野県出身のものすごい力士がいたことをお伝えしたいと思います。
その名前は、
雷電為右衛門
何でも、あまりの強さに、禁じ手が4つもあったという、江戸時代の知る人ぞ知る
史上最強力士です。
江戸時代後期に活躍した力士
生まれは信濃国小県郡(現在の東御市)出身。
1784年,(天明4)秋に上京し、伊勢の国部屋に入門、初土俵のときの身長197cm、体重169kgだったそうです。
先ほどの4つの禁じ手は、鉄砲、張り手、閂(かんぬき)、さば折と伝わっています。
何でも、雷電の閂(かんぬき:相手がもろ差しをしてきた腕を外側から抱え込んで動きを封じる技)で、相手力士の腕が折れる事件が起こったことが発端といわれています。
が、実はこの有名な逸話は、真偽のほどが確かではないといわれています。
しかし、そんなエピソードが伝説として後世まで残るのは、それだけ強かったということに他ならないでしょうね。
生涯黒星数たったの10
何でも、彼の生涯での通算黒星はたったの10!
大鵬の生涯通算黒星は182、北の湖350、白鵬が、223(2018年2月時点)
時代が違い、場所数も違うとはいえ、この数字を見ただけでも雷電為衛門がいかに並外れて強かったかわかりますね。
何でも、負けた相撲は、すべて二日酔いによる取りこぼしだそうです。
さて、並外れて強かった雷電為右エ門ですが、なぜか最高位は西大関で横綱にはなっていません。現在の横綱昇進の条件は「大関で2場所連続優勝」となっているため、雷電は文句なく横綱になれたはずと思われるのですが、いったいなぜなのでしょう?
現在最も有力な説は「当時の横綱は、現在の横綱のようにきちんとした制度として確率されていなかったから」というものだそうです。
いずれにしても、そんなすごい力士が長野県出身だったのですね。
ちなみに、江戸時代、女性の相撲見物は出来ませんでした。
女性も許されるようになったのは、明治時代に入ってからだそうです。
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